人体が『水晶構造をしている』とは(by苅田倫子)

『水晶』、この古くて新しい物体。『水晶』と聞いて何をイメージ、もしくは連想するだろう。

私が『水晶』と聞いてイメージするものは、やはり『水晶玉』かな?あの『○○の母』とかいう、占いのカリスマおば様達が好んで使っておられそうな、ふかふかの座布団に鎮座した、水晶のボール。薄暗い部屋で、怪しい光とどこからともなく聞こえてくる不思議な音楽、なんだかよく分からないお香の臭いがあったりして。連想するのは占い、運命、ごく最近になっては癒し、パワーストーン、ヒーリング・ストーン、など等・・・。いずれにしても宗教を彷彿させるようなものだろうか。

一方で、聞くところによると、今のテクノロジーはこの『水晶・クリスタル』をなくしては存在できないほど、実は、ありとあらゆるものに『水晶』が使われているらしい。時計、ラジオ、携帯電話、自動車のイグニッション(点火)・システムなど・・・。

そもそも、なぜ、そんなテクノロジーに利用されているのかというと、すべては『水晶』の持つ性質に秘密があるようだ。水晶にはもともと、分かっているだけで7つもの特性があるという。蓄える、増幅する、修正する、制御する、維持する、変える、操作するなど。

実は、こうした特性は、人体を構成する細胞の一つ一つにも備わっているのだという。『人体が水晶構造をしている』所以である。

例えば、ホログラフを作るためにも『水晶・クリスタル』を使うそうだが、このとき使う水晶の大きさはほんのけし粒ほどでいいそうだ。現在の技術における情報量からすると、それで十分に処理できるそうである。ちなみに、水晶が持つ情報の処理能力とは、大体1立方pあたり、1000ギガバイトに相当するという。

今ひとつピンとこないが、家庭で使われているパソコンの容量は新しいもの(デスクトップ)で120ギガバイト位。持ち運びに便利な、ラップトップ型でも80〜100ギガバイト程度だという。あの大きさのパソコンでこの程度である。どれほど凄い容量かが分かるだろう。

その水晶に匹敵する容量の細胞で、人体は作られているということだ。人体の細胞は大体60兆ほどだそうだが、その一つ一つが水晶と同じ構造をしているというのである。しかもその細胞で作られた人体の中には、細胞の数とは別に、これまた60兆ほどのバクテリアが存在するという。このバクテリア自身もまた、一つ一つが水晶構造をしているというのである。

ということは、人体ってパソコンに換算すると一体いかほどの容量なのだろうか。目まいがするくらい、とてつもない量すぎて、私のちっぽけな頭ではもはや計算できない。ギガバイトの上って何?テラバイト?その上は?ああ、もう分からん。

80ギガバイトのパソコンがあの大きさで、消費電力が55h以上を必要とするらしい。初期の携帯電話もまた、能力の割には消費電力が大きかったが、最近の第3世代型になると、容量も格段に増えて、いろいろ機能も満載だが、消費電力は今までとあまり変わらない。テクノロジーが進むにつれて、機能は増えても消費電力は変わらないどころか少なくなるところに技術の凄さがあるのだと思う。

人体はさらに凄い。目まいがするくらいの容量を持っているのに、私は自分用の充電器を持っていない。充電器を持たなくても生きていけるのだ。電気エネルギーに換算してみると、ほんの微々たるエネルギーで済むのだそうだ。自分用の充電器にあたること、それは食べることだろう。このときに何を食べているかで、自分に持てる能力をいかんなく発揮できるか、つぶれてしまうかが決まってしまうのだろう。

しかも、パソコンはメモリーが一杯になってしまうとフリーズしてしまうが、人体はメモリーの容量そのものが莫大な上に、絶えず、新陳代謝という名の『リニューアル』を行っている。また、容量そのものも、豚に真珠のような現実もあり、すべてを使いこなすどころか、生涯にわたってよくて10%、ひどくて3%ほどしか使わずに終わってしまっているそうだ。フリーズしてしまうところへすら到達できないのだ。それくらい凄い容量なのである。それほどの容量を持ってしても、要するエネルギーは80ギガバイトのパソコンの消費電力分もいらないのである。不思議なものだ。食べることで、食物からエネルギーを転化して健康を維持している人体。

さらに摩訶不思議な話で、この世にはほとんど食物を口にしなくても、十分体を維持していける人達がいるらしい。しかもすこぶる健康で普通に生活しているという。宇宙人などではなく、普通の人間の話だ。
昨年(2005年)、世界中の肥満の人口が飢餓人口を初めて上回ったそうで、今、世界中で飢餓に苦しむよりも肥満に苦しむ人達のほうが多いのだそうだ。ダイエットに励んでいる人達にとっては夢のような話だろう。肥満に悩む人達だけでなく、時間に追われているような忙しい日々を送っている人達にとっても、食事に費やす時間を他に当てることが出来たらどんなにいいだろうと思っている人達も多いはずだ。ファーストフードがもてはやされるくらいなのだから。変な話、食事に費やす時間だけでなく、トイレに行く時間でさえも節約できるかもしれないではないか。食べないのなら、出す物だってないだろう。そう考えると、トイレットペーパーの消費量だって節約できるし、そうなればそのために切り倒される木を守ることだって出来る。トイレの水を流す回数も減るのだから、水の節約にもなるやんか。まさしく『風が吹いたら桶屋が儲かる』式で、人間だけでなく、地球環境にとってもいいことずくめなのではないか。

どうやったら、そんな風になれるのだろうか。

話が飛ぶようだが、『超電導物質』というものがある。何や、聞いたことはあるが、難しそうだ。パパが、一時期、グラヴィトンのことを調べているときに興味を持って、その筋の人に教えていただいたことがある。やっぱり、難しかった。詳しいことは未だに分からない。が、『超電導物質』とは、早い話が、読んで字の如く、『電気を全て、何の抵抗もなく通す物質』のことのようだ。『何の抵抗もなく』というのがミソで、これがどういう事かというと、例えば、電化製品などを使い続けていると、コードや接続部分が熱を持つ。これは、そのコードなり、接続部分に電気が流れた結果、その電気を全て流しているのではなく、そこに、もしくはその物質に抵抗があるため、そこに留まっている電気が熱エネルギーへと変化しているのだそうだ。それが、『超電導物質』だと、そういうことが起こらないらしい。抵抗がないからだそうだ。

抵抗がない。全てを(電気)抵抗なく通す物質。それが『超電導物質』なのだそうだ。『全てを無駄なく通す(利用する)』のだから、ゴミ(熱)も出ないはずである。

ならば、人体もまた、『全て(エネルギー)を無駄なく受け取れ(利用出来)』れば、当然ゴミ(排出物)も出ることもなく、その受け取ったエネルギーの全てを体の機能を活用させることに使えるのではないか。細胞の一つ一つに、またその細胞の中に住んでいるという、バクテリアの一つ一つに、そうしたエネルギーを抵抗なく届けることが出来れば、人は無限にも匹敵するだけの可能性を引き出すことが出来るだろう。

どうすればいいか。『食べる』ことである。ただし、手当たり次第に食べることではない。『超電導物質』に匹敵するものを体に取り込む(食べる)ことである。例えば、添加物バリバリの食べ物はどうだろう。たぶん、この『添加物』に当たるものが実は、人体にとっての『抵抗勢力』になるのではないか。いわゆる『ゴミ』である。野菜などを食べたときの『カス』などは『粗大ゴミ』や『生ゴミ』に当たるので、胃や小腸、大腸などで消化吸収した挙句、排泄物として外に出せるだろう。一方、この『添加物』などは、一見野菜などのように、目に見えるものではないくらい小さいので、『カス』など発生しないから、それぞれの臓器で吸収されて、エネルギーへと変換されていくのでは、と思われる。

ところが、である。先にも述べたとおり、細胞もまた『水晶』と同じ特性を持っているというのである。蓄える、増幅する、修正する、制御する、維持する、変える、操作するなどである。
添加物は小さいので、もしも細胞レベルにまで到達して初めて、エネルギーに変換できない、と判断されて、しかも、なまじ小さいために、各臓器に訴えるわけにもいかず、結果、その『ゴミ』の持って行き場をなくして『蓄え』られてしまったらどうなるか。そのうち、その細胞は情報過多(ゴミの増えすぎ)のためにフリーズしてしまうだろう。そうなると、以後その細胞には情報が届かなくなってしまう。そうした細胞が存在する臓器などの場所によっては構成する細胞からの情報が滞ってしまうために臓器そのものの活動が鈍ってしまうか、最悪の場合止まってしまうだろう。私は医者ではないので、難しいことは何も分からないが、案外『癌(細胞)』の正体はこういった細胞達なのではないか、とも思ったりしてしまう。

以前、自然食品店の店長から、人口肥料で育った作物のDNAと有機農産物のDNAとではらせんの巻き方が対照的だという話を聞いたことがあるが、先の添加物の話がありえる話だとしたら、人体に取り込まれる前の段階である植物自身の育ち方においても、『食品添加物』を『人口肥料』に置き換えてみれば、らせんの巻き方が違う、という話もうなずける。
一方、自然の力で育まれた食物(有機栽培物)や天然の調味料(食塩ではなく、天然の塩など)の成分の中にはこの『超電導物質』にあたる物質が存在するらしい。そうした物質を体に取り込み続けることで、添加物の時とは対照的に、体の隅々にまで情報が到達するようになるという。体の隅の細胞と、その中に存在する、バクテリアにいたるまで、きっちり情報が伝わるとどうなるだろう。てもちの